青山沈殿池 歴史的建造物

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アクセス難度
装備:特になし
道路:通常
交通機関:あり(近いが本数が少ない「青山」バス停、やや遠いが本数が多い「三ヶ木」バスターミナルから徒歩)
行動:0/100

おもに現代の施設は青山沈殿池のページに掲載している。
このページには歴史的建造物を掲載する。
厳重に管理されているが、現代の施設のページにも記したように申し込みをすると見学できる

玉石で組まれた取水口明治30年(1897年)の建造物、旧青山取水口。歴史的な施設としての「目玉」はたぶんこれになるだろう。玉石が切れているところが水を取り入れるゲートだ。
その奥には今も道志川が流れている。道志川の水はそのままでも十分きれいで、この水を水道に使うのはとても贅沢な感じがする。

下の看板の説明にあるような仕掛けで水を取り入れていた。洪水のときには積み上げられた玉石がゴミを取り除くフィルターの役目を果たしていたのだ。
最初の写真の現状を見る限り、旧青山取水口は道志川の流れよりもずいぶんと上のほうにある。このような構造ではとても取水できそうになく不思議だが、明治の昔とは川の流れが変化しているのだ。かつての道志川の河床はもっと高かったらしく、説明されているような高さで流れていた。なので、この設備でも効率よく取水できたそうだ。
旧青山取水口の構造説明

制水弁などの設備もまだ残っている。
制水弁などの設備

操作架台の下、波防管には「1886」の刻印がある。青山取水口の創設(1897)とはズレが大きすぎる。もしや、沼本ダム近くにあった三井用水取入所から移設されたのであろうか。
波防管

旧青山取水口と合わせて明治30年に設置された旧青山沈殿池。石垣のすき間から水が流れ込んでいたという。取水口と同様、玉石をフィルターとして使っていたのだ。
現在は半分だけ保存されている。
旧青山沈殿池

設備の詳細はこの看板の説明書きで。相変わらず写真1枚で説明を端折る。
旧沈殿池は長さ30.3m、幅15.15m、深さ2.12mの大きさで2池

これももしや、当時の設備であろうか。
ポンプか?

大正期に入ると水需要が増え設備が拡充された。大正4年(1915年)には旧青山取水口ではなく、上流の鮑子あびこ取水口で取り込んだ水を、この青山隧道を経由して取り込むようになった。そのときからもすでに、100年以上が経過している。
青山隧道のレンガ積み坑口

青山隧道と排砂池。台風が通過するようなときには漂流物が流れ込み、この排砂池での除去が必要になるそうだ。しかし写真のとおり、普段はほとんどゴミはなく、ほぼメンテナンスフリーだ。
この排砂池も100年以上前の施設で、現役で使われている。じつにいい投資をしたものだ。
背後の新しい建物は宮ヶ瀬ダムから道志川に送水している津久井導水路の出口となる放水口。この導水路は神奈川県が「水不足知らず」であり続けるために大いに役立っている。
青山隧道と排砂池

青山沈殿池の水は、この城山隧道を通り津久井分水池を経由し横浜に送られる。城山隧道も大正期の拡張に合わせて建設された。
城山隧道の坑口

かつては水のpHを調整するために使っていたという設備。
木の桶?

青山水源事務所の敷地内には、かつての事務所が残っている。建物右側の和風の部分は明治期の創設時に建築された。左側の洋館の部分は大正期の拡張後、昭和7年に建築された。
旧管理事務所

明治の事務所と昭和初期の事務所がこのようにつなぎ合わされている。
新旧事務所建物の接合部分

経緯の説明。
旧事務所の説明書き