明治大正昭和

東屋

このあたりに東屋があった大日本帝国憲法の起草作業は、この地にあった旅館「東屋」で始まった。

ところが、東屋では書類の盗難に遭い、安全を確保するため起草作業は伊藤博文の夏島別荘に移された。後年、金子堅太郎書の記念碑が東屋の敷地に建てられたが、東屋の廃業に伴い移設された。

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