編集前中後記

ここはどこだ?
いったい何の「編集前中後記」?
記事見出し
弊サイトコンテンツのドメイン 2004/9/18 
うっかり新コンテンツ 2004/8/24
手の届かない「使い勝手」の領域 2004/4/11
増殖する黄色いバナーのわけ 2003/12/8
テロ事件で頓挫する弊サイトの企画 2003/12/7
このサイトを作っている機械 2003/11/15
「川流れ」急速更新のわけ 2003/10/31
弊サイトがディアスポラを迎えた事情 2003/10/10
開設5周年を迎えて(謝辞) 2003/8/14
ガイドブック論 2003/6/28
もうひとつの戦争 2003/6/18
模様替え 2003/6/7
「ビンギョル州」? 2003/5/22
ビンギョル 2003/5/2

増殖する黄色いバナーのわけ

2003.12.8

筆者はメダルやバッジの類が好きではない。にもかかわらず、弊サイトでは「黄色いバナー」が増殖中だ。さまざまな規格や基準はだいぶん前から満たしていたのだが、わざわざデータ転送量を増やすバナーの貼付をしている背景には、「閲覧しにくい」という障壁が少なからぬユーザをWWWから遠ざけている、という考えがある。

とりわけ、公的機関Webサイトは早急にどうにかしたいところだ。例えば首相官邸のWebサイトはWWWの標準化団体W3Cによる規格を満たせていない(The W3C MarkUp Validation Serviceで確認できる)。定評のあるHTML文法チェッカーAnother HTML-lintにより確認すると、首相官邸はわずか7点である。

弊サイトは「旅行もの」のコンテンツを主軸にしており、訪問者の属性は幅広い。取り立ててインターネット関連の分野に関心のない方々にも、アクセシビリティやユーザビリティ、規格適合性などにかかわる情報を広報するには適した性格だ。それゆえ「一肌脱ごうではないか」という腹づもりである。

さて、いきなりハンディキャップのあるユーザに配慮しろなどという高級な水準を求める気はない。予算の手当が付かず、各部署が片手間でページを作成しているケースなら、少々問題があっても仕方がない。納税者(地方自治体の場合は住民)との間で費用対効果について妥協点を見出せていれば、これはこれで妥当な選択とも言える。

しかし、遅かれ早かれさまざまな利用者に対する対応を求められるのは、高齢社会がすでに到来している現状では明白だ。簡素でも規格に従ったWebサイトを作成していれば、そのような必要が生じたとき比較的容易に対応できる(弊サイトが正にそうであった)。

片手間で制作され、費用もそれほど投じられていないのなら損失は少ない。だが、規格に沿わないWebサイトに多大な制作費を投じてしまうと、二重投資になる可能性が高まる。

島根県のWebサイトのような、規格を満たした見やすい公的機関Webサイトも登場しはじめている。函館市のように、規格への適合度を高めつつあるとみられるものもある。

しかし、全体としてはまだ試行錯誤の段階にあると言えそうだ。例えば横須賀市のトップページには、「どなたにも見やすい版はこちら」というリンクがあるが、トップページは規格を満たせておらず、文字は小さく、かつコントラスト不足で読みにくい。最初に表示されるページがこれでは、車椅子スペースを階段の上に設置するようなものである。目的ごとにいくつものページを用意すれば、当然ながら制作、メインテナンスに要する費用も大きくなる。

さらに、弊サイトの実績では、シンプルで規格に準じたつくりをすればするほど訪問者の閲覧ページ数を増やし(訪問者が積極的に情報を探してくれるのだ)、問い合わせを少なくする効果がある。公的機関Webサイトの場合、問い合わせが多ければ本来の業務に振り向けられる時間を圧迫したり、余分な人件費を発生させかねない。行政コストの削減という観点からも、規格に準拠したシンプルなWebサイトを制作することは効果的だ。

すぐに実現することは困難かもしれない。しかし、公的機関Webサイトに関しては、少なくともトップページでHTMLならびにCSSの規格、WAIのウェブコンテンツ・アクセシビリティ・ガイドライン(邦訳)のうち、最低限のレベルを満たすことを求めたいと思う。

テロ事件で頓挫する弊サイトの企画

2003.12.7

先月発生したイスタンブルにおけるテロ事件は、弊サイトのアクセス状況にも少なからぬ影響を及ぼしている。事件直後にはリンク集や「とるこのととと」に対して集中的なアクセスがみられた。震災やイラク問題のときもそうだったが、メディア各社のホストがずらりと並ぶニュース発生時のアクセスログは壮観だ。弊サイトのログを見ていると、いち早くトルコ関係ニュースの発生を察知できるほどである。

しかし、今回のニュースはこれまでとは大きく性質が異なるものだ。発生直後のピークを過ぎてからは、トルコ系コンテンツへのアクセスは低迷している。大手旅行会社の主催するトルコへのパッケージツアーは催行が中止されており、筆者としても事故の危険を考えるとトルコへの旅行を積極的に勧められる状況ではない。万が一旅行者が被害に遭う事態が起きれば、日本人観光客を長期的にトルコから遠ざけることになりかねないから、アクセス低迷にはある意味「安心」している。

困った問題は、「WWW川流れ」の企画のために行っていたデータ取りに支障を来していることだ。10月下旬に行ったあるデザイン変更の影響を検討すべくデータ集めをしていたところだが、アクセス状況が通常とは大幅に異なってしまい、信頼できそうなデータを取れなくなっている。

Webサイトで取得されたデータそれ自体や、WWWそのものについての文献は多数出回っている。「WWW川流れ」では、長期間公開されアクセス状況も安定しているコンテンツ「とるこのととと」を材料に、両者を結びつけた領域で検討を行おうと意図していたのだが、思わぬ伏兵が現れた格好だ。

このサイトを作っている機械

2003.11.15

弊サイトの制作者は大変に狡い。3回質問のあった事項はコンテンツに取り込んでしまう。というわけで、弊サイトの制作に使用しているハードウェアについての記述をしておこうと思い立った。

しかしながら、記述はなかなか難しい。いずれも基本的に自作機であり、必要に応じてその構成が変更されるからだ。まずは装置設計の骨格となる考え方を列挙する。

  1. 低価格で安定した部品のみを使用する。
  2. 部品点数は最小限に留める。
  3. 徹底した騒音、ならびに消費電力の低減を図る。
  4. 汎用性を確保しつつも極力小型な筐体を選定する。
  5. ハードディスク・ドライブは定期的に交換し、データ損失のリスクを低減させる。
  6. 想定使用期間は5~6年間であり、この期間ですべての部品が入れ替わる。

まず「1」であるが、部品は買い始めると際限がなくなるから、「1点1万円以内」と自主規制を敷いている。こうすると図らずも初期トラブルの出尽くした型落ち部品で揃えられ、トラブルを少なくできる。

「2」は並々ならぬ「こだわり」を持っている項目だ。部品点数が増えれば故障が増え、ひいては業務の効率を低下させるという考えである。全体の構成だけでなく個々の部品についても注意を払っており、例えばハードディスク・ドライブならば必ずプラッタが1枚のものを選定している。

さて、作業環境の改善はいかなる現場においても優先されるべき事項だ。「3」のように作業効率を低下させる計算機の騒音を低減することは生産性を大いに向上させる。低騒音化は消費電力の低減とも関連が強く、同時に実現できるものだ。

「4」のように小型の筐体を使用することには、計算機を使用する関連分野でのコストを小さくするねらいがある。計算機を設置するスペースでその他の機器配置の見直しを余儀なくされるようでは本末転倒である。小型の筐体は拡張スロットが少ないなど制約になる場面もあるが、どこにでも収まるという意味での汎用性は高い。

なお、当方ではノート型コンピュータの使用コストはデスクトップ型の約2倍になると見積もっている。ノート型コンピュータは設置場所に大きな自由度があるが、そのメリットは2倍の維持費を払うには値しないと判断している。

「5」は最も重要な項目だ。ハードディスク・ドライブの故障によりデータ損失を生じさせてしまうと、多大な労力が無駄になる。データの回復を行うサービスもあるが、料金は大変高額であり、通常考えられる業務では負担しきれない金額だ。当方では販売店の保証期間が終了する1年間を目安に交換を行い、リスクを低減させている。

「6」にはまとまった出費を抑えるという見逃しがたい効果がある。計算機を1機まるごと購入すれば、少なくとも数万円単位の出費になることが避けられないが、「1」のように1万円以内の部品を少しずつ入れ替えてゆけば、少ない負担で常にそこそこの環境を手に入れることができる。もっとも、マザーボードを変更すればメモリCPUの代替も必要になるから、マザーボードを更新する際の予算はやや大きくならざるを得ない。

コンピュータの自作は思ったよりもはるかに簡単である。塗装する箇所や接着剤を使用する箇所はないから、プラモデルを組み立てるほどの「熟練」は必要ない。例えば断然差がつく!最新自作パソコンのしくみ・作り方・楽しみ方など適当な書籍を参考にすれば、とりあえず動く状態までは漕ぎ着けられる。

しかしながら、その世界はたいへん奥が深い。とりわけ上記項目のうち「3」と「4」を両立させることは非常に難しく、工夫を凝らす余地がいくらでもある分野だ。「静かで小さい」計算機の組み立てを極めるに際しては、コンピュータを扱う店ではなく、ホームセンターに出入りする機会が増える。

1号計算機

1996年2月に購入したFMV5120 D5を祖先としている。最後の目に付く流用部品であったフロッピイ・ディスクドライブも2002年で引退し、もはや面影はないが、興味深い部品が今も使用され続けている。ネジと緩衝ゴムである。

239,000円(税別)という今日では考えられない高額で購入した本機は、その後コストダウンが進行した計算機とは一線を画した造りであった。ほとんどすべてのネジにスプリング・ワッシャがかけられ、またドライブ類を支持するステイは緩衝ゴムを介してケースに固定されていた。目立たないが実直さの滲み出るこれらの造作により、動作時の騒音が極めて小さかったことが最大の特徴である。

今日ではMicroATX規格のケース(YY101)にASUSのマザーボード(CUSL-2M)の構成からなる非常にコンパクトな計算機だ。消費電力および発熱の少ない部品選定という観点から、搭載されているCPUはCeleron700MHzである。

本機はコンピュータ・ラックの下部に横方向に寝かせて設置している。本来はよろしくないのだが、ケース上部はフィルム・スキャナや書類の置き場にされており、これらのせいで熱的なコンディションはシビアだ。

2号計算機

1999年に当時の仕事の都合から組み立てた最初の自作計算機である。MSIのマザーボード(MS6154)を使用している。

こちらの計算機もMicroATX規格であるものの、1号計算機に比べるとかなりゆったりしたケースに収めているため、熱的な問題は生じない。搭載しているCPUはCeleron333MHzという時代がかったものだが、長時間を要するデータ処理などの作業はこちらの計算機の方が安定している。

発熱しにくい構造であることは、騒音の低減という分野でも大きな効果を発揮している。本機は動作時の騒音をほぼ完全に抑え込んであり、微かなファンの回転音は静かな冬の夜にしか聞こえない。

いずれの計算機もほとんどのネジにスプリング・ワッシャを取り付けている。また、回転部分のある部品の固定には緩衝材を多用している。

本稿はコンピュータ関連広告の売り上げを増やそうという一段と狡い企みで書き始めたのだが、どうみても部品が売れる記事ではないな。

「川流れ」急速更新のわけ

2003.10.31

最近1年間ぐらいの間に、このサイトの制作者がたびたび参照していたWebサイトのいくつかが公開を停止した。いずれも繰り返し参照させるだけのことはある、手堅いコンテンツを提供していた。

しかし、どのサイトも劇的なアクセス数を記録するタイプのコンテンツを提供するものではなかった。「華やかさ」という要素が欠けていたことは事実であろう。皮肉なことに、華やかではないサイトほど、本当に情報を集めたいときには参考になるものだ。

コンテンツのテーマにより、対象となるマーケットが自ずと決まっていることも多い。例えば、トルコを訪問する日本人観光客は年間およそ9万人である。航空便の輸送能力も急激には増やせないから、観光客を一挙に増やすわけにはゆかない。つまり、「トルコ旅行」をテーマにした日本語コンテンツなら、この数字を大幅に上回る集客-実際にコンテンツを活用する閲覧者という意味だ-はできない。もし100万人の訪問者を集めたとすれば、どこかに「からくり」があるはずだ。

「からくり」もある種芸術だから、否定はしない。しかし、「からくり」の仕掛けは思ったより認識されていない印象を抱いている。永く参照され続ける手堅いコンテンツが消えてゆくのは忍びなく、拙い稿をとりまとめている次第だ。

弊サイトがディアスポラを迎えた事情

2003.10.10

コンテンツごとに別ドメインへの移転が進行中の弊サイトは、さながら「ディアスポラ」の様相を呈している。ドメインの差異を基準にすれば、6つのサイトに分割されるに至った。

弊サイトのビジターはおおむね90%が検索エンジン経由の来訪者である。検索に用いたキーワードとマッチしないコンテンツはほとんど閲覧しないという傾向がつかめており、別ドメインへ移転する際にはこうした傾向を参考にしている。

私営あなとりあ通信」というサイト名の由来については、ひっそりとリンクを作成してあるページで説明しており、連日数人の注意深いビジターにご覧いただいているようだ。弊サイトが「ディアスポラ」を迎えた事情は、このサイト名と関係している。

実は7月上旬ごろまで、ヤフーの検索ボックスに「アナトリア通信」(「アナトリア」はカタカナである)というキーワードを入力して検索を行うと、「私営あなとりあ通信」が一番に表示されてしまう状況が生じていた。ヤフーのページ検索はGoogleによるものがベースであり、Googleの検索結果も同様であった。

さすがにトルコの通信社と同一の名称で「ニセモノ」がトップ表示されるのは具合がよろしくない。案の定、相当の顰蹙を買ったらしく、手厳しいお叱りを受けてしまった。当初はパロディのつもりで決めた名前であり、ひらがなで表記するなどそれなりに「類似品」のそしりを受けない配慮をしてはいたが、少々悪ふざけが過ぎた感は否めない。

かなり精度の高いサーバーのログでは、http://anadolu.areastudy.net/よりリンクを作成しているそれぞれのコンテンツを合わせると、連日数百人の方にご覧いただいている。トルコ関連でニュースがあった場合など特異日にはさらに数字が跳ね上がることもあり、「悪ふざけ」はできなくなってきた。

「ディアスポラ」の事情はこんなところだ。まあ、「転んでもタダでは起きない」と申し上げてよいのかは分からないが、分割によりかえってビジターは増えたようである。

衆議院解散の日に記す。

開設5周年を迎えて

2003.8.14

おかげさまでこのサイトの公開から5年が経過しました。まずはなによりも、大勢の方々にお越しいただいたことを感謝いたします。

このサイトで主に取り扱っている国、トルコを最初に訪問したのは、1987年のことでした。100年単位で時を刻むランドマークを数多く抱える彼の国にとって、16年間はわずかな時の経過に過ぎないのかもしれません。

しかし、80年クーデターの残像もところどころに見られた当時に比べると、確実に歳月が流れたことを思い知らされる場面が多々あります。5年間の間にもまた、1999年の震災など、ニュースとしてトルコが取りあげられる出来事が少なからずありました。

開設時から今に至るまで、このサイトでは「とるこのととと」が主要なコンテンツです。当時は海外の温泉を中心に扱ったWebサイトは見あたらず、解説文章の作成にも苦心した記憶があります。今日では数多くのWebサイトで各地の温泉が取りあげられており、拝見するたび感慨深い思いを抱いています。

5年間の間にこのサイトのコンテンツも拡充され、テキストは約30万字、おおむね新書3冊分になりました。トルコ以外のコンテンツも増え、初めてお越しいただいた方にとって「このサイトがなんのサイトであるのか?」を理解しづらいことは、素直に認めざるを得ません。昨年頃から、必要な情報を見つけにくくなっていることを反省する毎日が続いています。

5周年を期に分かりやすい構成とするため、各コンテンツを目的別に分割する作業を進めています。先月は主要なコンテンツである「とるこのととと」を新しいドメインに移転、今週は「旅・ひと・ことば」を別サイトとして独立させました。「編集前中後記」の派生コンテンツである「ガイドブックのガイドブック」は、スタートから別のドメインで公開しています。

タイトルがトルコの通信社と紛らわしいというお叱りを受けたこともあり、「私営あなとりあ通信」として公開しているページ群は少しずつ縮小する方針です。今のところ閉鎖する考えはありませんが、以前からお越しいただいている方向けのインデックス用に役割を絞ることになりそうです。

それぞれのコンテンツを、これからも活用していただければ幸いです。

ガイドブック論

2003.6.28

はっきりとは書いてこなかったが「ガイドブック千夜一夜」では「ガイドブック論」という分野を狙っている。構想を練り始める前は「ありがちな」分野とも思えたが、実はこれまでほとんど触れられてこなかったようだ。

Googleで検索をかけても、風の旅人のエッセイで記されているものなど数件しかヒットしない。少なくとも日本語の文献では、ガイドブック論としてまとまったボリュームのあるものは出ていないのが現状だ。

作業を進めてゆくうち分かってきたのは、なかなか分類の難しい分野であるということだ。分類ができていなければ何を言おうとしているのかも分かりにくくなってしまう。コンセプトやアプローチも一から構築してゆく必要がある。

ガイドブックにおいて地図はそれなりのウェイトを占めるから、地理学、地図学の分野とも重なってくる。地図を読む「読図」という領域には認識学の分野も引っかかってくるだろう。しかしこれらもガイドブック論を構成するひとつの要素に過ぎず、全体像は見えてこない。

文学的な視点も必要かもしれないが、完成物に実用性が求められるという点を中心に、文学批評のような方法は馴染まない部分が多い。実用性という視点では、本の体裁も重要だ。これまで連載した中でLP社のガイドブックの「見た目の特徴」にたびたび触れてきたのは、この要素を意識してのものである。

さて、次回の連載だが、週末で掲載してしまうか、週明けになるかのタイミングを考えている。重くなりすぎたファイルをそろそろ分割すべきか悩んでおり、今回は少々遅れ気味になっていることをお詫びしておく。

もうひとつの戦争

2003.6.18

GIFに関する米国の特許が20日で失効する(正確には圧縮アルゴリズムLZWの特許)。UNISYS社は別の特許を出願しているうえ、日本で出願されたものは来年(2004年)まで権利が残っているから、まだ安心して使えるようになるわけではない。

GIF特許に関してはミケネコ研究所の「わかりやすい PNG の話 for Web」でタイトルどおり分かりやすく解説されている。大雑把にはライセンスを受けたソフトウェアで画像を作成、公開するだけなら特に問題は生じない。しかし、素材やバナーを配布したり、配布されたそれらを公開するような場合は「黒」か「灰色」である。

弊サイトでは明らかに配布用途ではないもの数点をのぞき、GIF画像は使用していない。しかし別の特許問題が燻っている。米国Forgent Networks社(以下F社)のJPEGに関する特許である*1

JPEGに関する特許はGIFの場合とは異なり、日本では審査請求されたものの拒絶された。また、問題の特許は動画に関するもので静止画のJPEGとは関連がないとするRuedi Seiler氏らの声明(リンクはINTERNET Watchの解説記事)もあり、争う余地は残されている。さらにF社はJPEG委員会のメンバーとして規格制定に関わっていたにもかかわらず、密かに特許を出願していた可能性も指摘されている。

GIF特許問題において、米国は2者-IBMとUNIYSYS-に対し同様の特許を認めてしまうという信じがたい行動をした。今回も経緯に不明確な点が残るにも関わらず、登録を許してしまったのは米国政府だ。そして米国特許には特許権が成立した時点に遡ってライセンス料を請求できるという恐ろしさもある。無茶苦茶な話のようだが、これが米国の知的財産権に関する戦略である。影響する範囲の大きさを考えるとある意味「大量破壊兵器」だ。

このサイトの制作者には特許をはじめとする知的財産権を否定する気はさらさらない。それどころか権利侵害に対しては厳しく対処すべきという考え方だ。しかしJPEGをめぐる特許は出願の経緯や内容に不明瞭な点が多い。特に出願の経緯として規格の決定に関わっていたことはGIF関連の特許よりも「たちが悪い」と考えており、権利の行使には賛同できない。

ところがだ。このように争う余地があるにもかかわらず、ソニーがForgentの要求に応じてしまった。その後三洋電機もライセンスを締結したとされる。困った話だ。

詳細な経緯が公開されているわけではないし、個別の企業の戦略に対して口を挟むべきではないかもしれない。が、中小企業が要求に応じるのとは「ワケ」が違う。トップクラスの企業が米国の「困った特許戦略」にみすみす協力してしまえば、2位以下のグループも抵抗しにくくなるうえ、既成事実が積み上げられてゆけば覆すことはますます困難になる。事業規模に応じた社会的責任ということを考えさせられるできごとだ。

イラク問題をはじめ米国の戦略には「鼻につく」部分も多い。超大国-米国-の戦略に抗することはなかなか難しい。利害関係も複雑であり抵抗したところで成果が上がるとは限らず犠牲を増やすだけで終わるかもしれない。当事者ではない以上、余計な介入をすべきでないという考え方もある。

しかし「特許戦争」の方は対抗する余地もありそうだ。なにより身近なところで影響が生じるから当事者になってしまうこともあり得る。

参考リンク
JPEG特許問題
米企業がJPEGの特許ライセンスを主張
UnisysのGIF特許、米国で20日に失効
JPEGへの特許権行使に反対しよう!

模様替え

2003.6.7

ようやくこのページを模様替えした。まだ気にくわない部分もあるので再度変更するかもしれないが、とりあえずはまとまったコンテンツとしての体裁が繕えた。

例によってページデザインは「使い回しが見え見え」で、手を抜いている。統一性を打ち出すことによって閲覧者に安定感を与える目的であると言い訳しておく。

さて、見てのとおり不定期の読み物を時系列に掲載するとともに、何種類かの連載ものを収録する方針はだいたい固まっている。一見するとまるで関係のない分野の論説が並んでいるようにも見えるが、もういくつか連載ものが出揃えば少しずつ一貫性を感じていただけるようになりそうだ。

「ビンギョル州」?

2003.5.22

先日の地震では「ビンギョル県」ではなく「ビンギョル州」と報道するメディアがかなりあった。このサイトではトルコの行政区分「il」をすべて県と訳しているせいで、質問のメールを何件かいただいてしまった。

特別な経緯がある場合をのぞくと(インドネシアなど)、多くの場合「州」はアメリカやドイツのような連邦制を採用している国家において連邦を構成する国(支分国)の意味で使う。県を州と置き換えると、政治体制を勝手に変えてしまうことになりかねない。トルコという国が連邦制ではないことは、外務省の各国・地域情勢を数分間読めば理解できる話だ。

ニュース報道に事実誤認がつきまとうことは宿命だが、簡単な確認作業で回避できる間違いは「痛い」。トルコ政府は優しいのか、このような間違いに抗議したという話は聞かない。しかし、もし中国のニュースで「新彊ウイグル州」「チベット州」などとしてしまったら、なにが起こるだろう?

トルコや周辺の国々にとってクルド人はデリケートな問題だ。話は中東の問題に収まらない。ドイツをはじめヨーロッパの国々に暮らす「トルコ人」も少なからぬ部分をクルド系が占めていて、問題の飛び火する範囲は広い。

このところクルド人問題を感情的に訴えるメディアも目立つ。しかし、基本的な事実関係の確認もしないまま、一挙に微妙な関係を孕む問題に焦点を当てた報道は信用する気になれない。

ビンギョル

2003.5.2

やはり何度も検索されたようです。


悪いけどなんにもありません...。東南アナトリアプロジェクトによる投資が進められてきた地域や(南隣のディヤルバクルやガジアンテップ)、西部の大都市への人口流出はかなり多いようです。経済的に遅れてしまった原因には、クルド人の多い地域に共通する大地主の存在などもあるでしょう。