平山橋

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大正2年3月竣成の銘板大正2(1913)年開通の中津川に架かる橋。神奈川県での関東大震災の被害は甚大で、県内で残存しているそれ以前の建造物は限られる。その後の大戦や開発事業もかいくぐってきた、数少ない生き残りの橋だ。

手前、左岸の1径間が大正2(1913)年、右岸川の2連は大正15(1926)年のもの。当初は右岸川が木橋だったという。鋼材は高価だったから、流れの緩いところは木橋で済ませたということだろうか。古い時代の航空写真では、流れは左岸に寄ったり、右岸に寄ったりと変遷を繰り返しているが、大正はじめまでは左岸で安定していたのかもしれない。
左岸から3連を見渡す
左岸の橋台。
護岸は改修されている

手前が大正2年のトラス、奥が大正15年のトラス。
時代が違うトラスの接続部

21世紀に入った2003年まで、自動車も通る橋だった。下流側に平山大橋が開通したことで、この橋は歩行者自転車のみの通行になった。
歩行者自転車専用の標識が立つ

例によって看板の写真を載せて説明を端折る。
国の登録有形文化財の看板
昭和20年7月10日には米軍の機銃掃射を受け、犠牲者も出たという。機銃掃射っていうのは人が見える距離から人を狙って撃つから腹が立つ。米軍から見たって、いくら大戦末期で「死に体」の敵相手とはいえ、低空から狙うんだから安全な作戦とはいえない。さらには、この地は山が迫っている。「面白半分やりやがったな」って感じがしてしまうのだ。

車は田代運動公園に止められる。