押切架道橋

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石積みとれんがの北側神奈川県道709号中井羽根尾線の旧道を、東海道本線が跨ぐ。高さ制限3.1m、幅員も狭い。内部で自動車のすれ違いはできず、「歩行者に注意」の看板が設置されている。しかし、交通量は多い。

高さ制限に気づかず、衝突する自動車も少なくないようだ。
傷だらけのポータル上部

昭和54年(1979年)の複々線化にともない、海側に延長されている。それゆえ、現在の海側はまったく形が違う。
海側ポータル

このときの延長部分の違いは内部でもハッキリと分かる。「継ぎ目」の部分。
新旧の継ぎ目

新しい海側も「傷だらけ」であることには変わりない。
やっぱり衝突痕がある

面白いことに、レンガ積みの山側と新築延長された海側には、同じような古めかしい銘板が掲げられている。複々線化前の海側ポータルから移設されたのだろうか。
北側の銘板
南側銘板

昭和54年の複々線化の際に改修された様子はこれまでの写真で理解できる。
しかし謎が残る。この区間の開業は明治20年(1887年)7月11日。複線化はされたのは明治32年(1899年)8月5日で、12年の開きがある。押切架道橋も、このときに単線分の長さから複線分の長さに延長する工事がおこなわれたとしても不思議ではない。しかし、見たところほとんど同じつくりで複線分の線路をくぐっている。押切架道橋は単線で開業した当初から、将来の複線化を見越して建設されたのであろうか。
トンネル天井を見上げる

同じような「謎」は大船の小袋川橋梁橋台に関しても抱いている。ただし、小袋川橋梁に関しては道路から観察しやすい北側の色がやや黒く、現用の橋桁の下に位置していて確認しづらい南側がやや赤い。小袋川橋梁橋台は複線化に際して延長・改修されているのかもしれない。