地下道は大正期のものだという。大隈重信をはじめ国府津の別荘に通う人びとも、ここを通ったのだろう。1番線側は両側に階段がある。
今どきの地下道に比べると、天井が低い。2~5番線の階段は片側のみ。
4、5番線側。どうしてここだけ、4段上がってから登る構造になっているのだろうか。中央の2、3番線は分かるとしても、1番線はいきなり登り始めているのに。
ホームへ上がる階段。
ホームや、ホームの屋根にも古さを感じさせるものが残っている。高度経済成長期に建てられた現在の駅舎も、遠からず懐かしさを感じさせるものになるのかもしれない。