明治記念大磯邸園「明治150年記念公開」

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大隈邸の廊下
明治元年から150年となる2018年、大磯町に明治記念大磯邸園が設置されることになった。
2018年10月から12月まで、旧伊藤博文邸(滄浪閣)、旧陸奥宗光邸、旧大隈重信邸が公開されている。庭園は当日受け付けでも見学可能だが、内部の見学は事前に邸宅ガイドツアーに申し込む必要がある。

邸宅ガイドツアーで見学できるのは、旧大隈重信邸内部と庭園、旧陸奥宗光邸内部と庭園、そして旧伊藤博文邸である滄浪閣は痛みが激しいため、外観のみである。

滄浪閣は関東大震災後に旧材を利用して再建されたもの。その後も米軍に接収されていた時代や大磯プリンスホテル別館として営業していた時代に手が入れられているそうだ。洋室棟部分を眺める。
洋館の佇まい
当時のガラスだろうか
棟続きの和室棟。
和館へ
内部の様子を見る。雨漏りもしているそうで、桶が置かれている。
傷んでいても構わないから入ってみたいものだ

旧陸奥宗光邸も関東大震災で大破したが、ほぼ原形に復元されているという。
庭園と建物の雰囲気は当時のままだろう

そして旧大隈重信邸である。今回公開されている建物のなかでは、唯一関東大震災を生き残った。改築は一部でされている模様だが、当時のままの邸宅を見学できる。
この記事の冒頭の写真は、大隈重信が書斎として使った「神代の間」―字を書かなかったクセになんで書斎があるんだという突っ込みは無粋だからやめておけ―の側から玄関に向かい、廊下を挟んで左手に宴会場「富士の間」を見ている。この廊下を大隈重信も歩いて行き来したと思うと、感慨深い。

「神代の間」から「富士の間」を見る。
客が通されれば見える位置

玄関車寄せ、そして玄関内部から。
ここに到着し
玄関に上がる
玄関横には応接間が続いている。
客人をここで迎えた

手前に「富士の間」、奥に「神代の間」。
いくらかゆがみのあるガラス

このツマラナイ記事を最後までお読みくださり、誠にありがとうございます。
じつはですね、ブラタモリに先を越されて、書くことがなくなっちゃいました。

要点としては、立憲政治の確立に貢献した先人が実際に使用したままに残っているのは旧大隈重信邸だけなので、今回公開されている3つの建築物のなかでも値打ちが高いんじゃないの、ということです。このような建物に実際に触れることができるのは、これまで維持くださってきた古河電工さんの貢献が大きい。