長浦港引込線

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平面クロス直角に交差するこの線路で名をあげた(?)長浦港の引込線をブラブラしてみる。

田浦駅北口にある相模運輸倉庫の地図にも引込線が描かれている。
詰所前の地図
予習。

驚いたことに、2013年までこのあたりの引込線は米軍所有だった。戦後の一時は接収されていた周囲は返還が進み、民間に使用されていたが、軌道敷は米軍の所有が続いていたのだ。

まずは、田浦駅から引込線が出てくるところ。奥のトンネルの向こうが田浦駅になる。
引込線がトンネルを出てくる
並行する横須賀線

手前の鉄橋を渡っていた引込線は使われなくなって20年近くになるが、架線と架線柱は撤去されずに残っている。米軍と国鉄の施設の境界はどこだったのだろうか。返還時の文書ではこのあたりも米軍所有だったようだが。

横須賀に住んでいたころ、今はヴェルニー公園になっているところに市営プールがあり、夏はたびたび田浦駅から横須賀線で通ったものだ。
昭和52年か、53年、貨物列車を牽引してきた茶色い機関車が、このあたりに首を突っ込んで止まっていて、運転士がデッキでたばこを吸っているのを市営プールに行く途中の横須賀線から見た記憶がある。「デッキでたばこを吸う」というのはこういう機関車だったからできたことだ。
田浦駅はトンネルに挟まれていて長さが限られるから、長い貨物列車の先頭はこのあたりまで来ざるを得なかったのだろう。後ろのほう、田浦駅の構内では、ディーゼル機関車が行ったり来たりして、到着した貨物列車を数両ずつに切り離し、小分けにする作業をしていた。

鉄橋の銘板。「昭和三年 横河橋梁製作所」であろうか。
橋梁銘板

曙機械のところに出てくる。冒頭の直角に交差するダイヤモンドクロッシングがあるのはこの一画だ。
倉庫街に出てきた

ダイヤモンドクロッシングの全景。写真の奥に進むと吾妻島の燃料を発送する田浦送油施設に続く。線路は一応残っている。
奥が吾妻島

かつては長浦港の倉庫街の全域に引込線が張り巡らされていた。K号倉庫のあたりにも軌道が残っている。
倉庫と引込線

トンネルの中まで線路が続いていた比与宇トンネル。
ダイヤモンドクロッシングから比与宇トンネル
途切れたレール
トンネルに向かって右側に最近まで弾薬庫の建物があり、そこからトンネル内部まで横穴がつながっていた。トンネルの内部向かって左側に引込線が伸びていた。施設が現役で使われていた時代には、貨車に積み込む荷役をトンネル内部でおこなう構造だった模様だ。
昭和47、8年ごろまでは、線路のある側(トンネル内部左側)は舗装されていなかった記憶がある。当時は比与宇トンネルを抜けて少し進んだところ、大洋ホエールズ(今はベイスターズ)の練習場になったあたりにボウリング場があり、父がよく通っていた。自転車に乗せられて一緒に行くことが多かったので、たびたびここを通っていたから、なんとなく覚えている。国道16号線のトンネルを通ったほうが時間的には格段に早いのだが、子どもを乗せた自転車で大型車が行き交う国道を走るのは憚られたのかもしれない。

今は入口から埋められてしまっているトンネル内部から弾薬庫跡に通じる「横穴」も、当時はどこまでも続いていた感じで、建造時そのままだったように思う。子供心にはこのトンネルを通るだけでとても恐ろしく、横穴を見てみたいなどと言わなかったのが悔やまれる。
「横穴」の跡
トンネル内部

昭和50年代には引込線も現役で、岸壁にはクレーンも残っていた。当時は港湾施設への出入りも自由で、釣りをしている人が多かった。この写真は昭和53年に撮影。この年、横須賀から藤沢に引っ越すことになり、私のこのエリアでの記憶は途切れてしまった。
昭和時代の岸壁