文命堤の周辺に整備されている。疎水百選に選ばれており、関東大震災で被災した施設の復興事業として、写真の水路トンネル「文命隧道」を含めて整備された。
文命隧道から下流側には、文命橋がかかる。
この橋も、文命用水の整備に合わせてかけられたもので、「昭和六年三月成」と刻まれている。
規模は小さいながら、周辺には水郷の雰囲気がある。
日本住血吸虫の中間宿主がミヤイリガイであることが突き止められた(1913年、宮入慶之助、九州大学)後の建造物なので、コンクリート造になっているが、すっかり景観になじんでいる。コンクリートは景観を破壊するという主張は的外れだろう。
豊富な水が手に入る立地だから、文命用水の開発に合わせて工場もこの地に進出してきた。用水の完成と同時期の昭和8年に創業した三菱ガス化学山北工場には、この時代らしい門柱が残る。
文命用水に流れる水は、内山発電所の直下で分けられている。左側のゲートの先が、文命用水につながる。このほか、酒匂川をくぐる水路も設置されている。